藤谷純子
  ― 念仏生活を妙好人に学ぶ ―                       2018/7/14
    池山栄吉先生
 
明治六年東京市誕生  ドイツ協会学校第一回卒業。
明治三十一年  清子夫人と結婚。宗教法案反対運動に協力し達成する。
明治三十三年から三十五年まで大谷派本願寺から近角常観師と共にドイツに留学派遣される。帰国後、東京の真宗大学の教授を勤める。
明治三十六年から三十八年にかけて煙草店の徳香社を設立するが、政府は専売としたため営業不振で解散し、真宗大学も退職する.この頃より求道学舎に近角師を訪ね、『歎異抄』を読み始められる。       
明治三十九年 岡山の第六高等学校教授となる 。                                   
大正二年 四十二歳の時 信心開発し常念仏の人となる。         
大正七年  清子夫人安らかに念仏往生  大正十三年 甲南高等学校教授となる。
昭和三年  友子夫人と結婚
昭和四年 大谷大学教授となる。昭和十二年 病気のため谷大辞任
昭和十三年十一月八日 念仏の息たえ終わられる。行年六十七歳   無碍院一道栄信士 
 
  池山先生といえば、信国先生のよき人ということで、『絶対他力の体験』や『信を行く旅人』や『仏と人』などを読んできました。今日はそれらの中から、今もねんごろに親しく語りかけ呼びかけてくださっているところを抄出してみようと思います。
 
                      ◯
  君がたが体験しうるもののうちで、一番大きいものは何か。それは大いなる蔑視の時だ。君がたの幸福も、理性も、道徳も、からきしつまれないものになってしまう時だ。
  自分を見下げ果てた時が、私達の体験しうるいと大いなるものだということは疑いない。が、ただ自分を見下げ果てただけで終わるのでは、体験としていかに大きいものであっても、結果から言えば、ただ悲惨という一語に尽きる。それは単なる価値破壊でしかない。大いなる見下げ果ては、大いなる敬い、大いなる受け入れの前提、もしくは反面として、はじめて絶大の価値が含まれる。
  私は言う「人間のおよそこの世において体験しうるもののうちで一番大きいものは何か。それは大いなる受け入れの時、念仏もうさんと思いたつ心のおこる時である」と。
 
                      ◯
  ある時、それは私の四十二の秋であった、ひしひしと迫り来るわが身の影、煩悩の跳梁に驚いて、自ら欺いていた信仰にも見放されて、ああ、本当の信仰が欲しい、どうしたら得られるだろうと、嬰児が母を探し求めるかのように、身も心も挙げてこの一点に集中したとき、その時、ふと胸に浮かんだのが、「親鸞におきては云々」のご文で、これが私にとって東岸の声であった。
  私はその声に耳を澄ました。思いを潜めた。ひったくるようにしてご文を見つめた。と同時に、不可抗的に引き寄せられるまま、ご文の中に没入したかの感があった。
あ! そうか! 聖人──私の絶対無二の信頼を捧げている聖人── はそうされたのか、じゃじゃ私も……じゃ私も念仏しよう、と思いきって南無……と言いかけて、まだ阿弥陀仏と言い切らないうちに── 何のことはない、まるで光の滝でも浴びせられたような気がして── つづけざまに、高らかに、生まれてはじめてのひとりでの念仏がでるのであった。
  何とも言えない、うれしい、安らかな、大船に乗ったような、胸一杯に勝ちどきをあげるような、力強い頼もしい心地。称えているうちにふと気がついた。そして頷いた。あ!これが信仰か! そうだ、これが信仰だと。
  「私におきてはただ念仏して弥陀に助けられまいらすべしとよきひと親鸞聖人の仰せをこうむりて信ずるほかに別の子細なきなり」
  これが私の大いなる受け入れであった。
  大いなる受け入れ、それは仏心の凡情への徹到であり、引入であり、凡情の仏心への開発であり、投合である。時から言えば「念仏もうさんとおもいたつ心のおこるとき」である。   
                    
       ◯
  「ただ念仏して」という言葉は、聖人のよき人の仰せに聞いたきわみであり、信の告白としてのかなめであり、また人に信をすすめるおくのてでもある。
 
   念仏は自働する
 
  念仏は自省を促す。念仏は鏡である。浄玻璃の鏡である。見る人の真相を映し出さずにはおかない。念仏の鏡以外の鏡、例えば世間道徳の鏡では、見る人みずから、目を覆わずにはいられない醜さも、怖めず臆せず、見つめることをゆるすのは、念仏の鏡の特徴である。「かねてしろしめして」の念仏に向かっては、いささかの遠慮会釈なく、自分を見下げ果てることができる。私はこれを念仏の洗悟作用と命名 する。洗悟とは、どうだね、おまえの本来の姿がわかるかねと、さとすという意味である。
 
   念仏の自顕作用
 
  自省は念仏の意義を深める。・・・・・海の深いところは、目で見ただけでは、とんとわからない。しかし、この海の処は富士山だけの深さがあると聞けば、富士山の高さを見た目で、その海の深さを想定するのは難くない。わが身の煩悩の、富士山ほどの高さにあきれれば、それを包容して余りある、本願海念仏の深さにもあきれずにはいられまい。してみると、煩悩の高さは念仏の深さの秤である。
   われならぬ  きよらのわれの  われにありて  けがれのわれを  われにしらしむ
 
                     
  池山先生のお母様の言葉
 
  「私は今度死ぬかも知れない、死ねばお浄土に参らしていただく。おまえもご信心をいただいて後からおいで。そうでないと親子は一世と言うからこれ限りになる。ぜひ信心をいただかなくてはいけない。でもそういかなかったら、いいや!わたしがお浄土から向かいに来てあげるから」
 
                     
  池山先生の最後の言葉
 
     娘の愛子さんに
 
  「父さえおればおまえは満足だったが、今度は生きてやれなくなった。愛子お念仏しておくれ!」 愛子さんは、ここでお念仏しなかったらお父さんと永遠にお別れになると思われて、なむあみだぶつ なむあみだぶつと申されると、先生はとても喜ばれて「愛子がお念仏申すようになった、これで亡くなったお母さんも、今のお母さんも喜ぶ、みんな喜ぶ喜ぶ」と言われた。
 
     友子夫人に
 
  「生きてやりたくても命がないでは仕方がないではないか。しっかりお念仏するんだ、しっかりお念仏するんだ、お念仏でどこまでも手をつないでいくんだ」と、お念仏を手渡された。

     いよいよこの世でまとまった最後のお言葉
 
        何も残るものはない
        何も残るものはない
        ただ念仏だけが残ってくれる
        ただ念仏だけが残ってくれる
        えらいこったよ!
        ありがたいこったよ
 
   苦しい中からも、お顔をほころばせて、とぎれとぎれながらささやかれた。
 
                     ◯
 
           倶會一處
 
「今世夢のうちのちぎりをしるべとして、来世のさとりのまえの縁を結ばんとなり。われおくれなば、人に導かれ、われさきだたば、人を導きて、世世に知識となり、生生に善友となりて、ながく迷執を絶たん」
亡き妻が不治の病にかかって、それとしれたとき、悲歎の中から、うれしさの身に余るを覚えたのは、唯信鈔の結びのこの文であった。
   楽しきはじめ憶うごと、哀しきおわり堪えがたし
やがて幽明さかいをへだてても、心と心とは永久に結びつけられて、浄土の対面を期することができるからである。