藤谷純子
〈念仏生活を妙好人に学ぶ〉    2018.8.18

   藤原正遠先生     藤谷純子

明治三十八年六月十一日 広沢幾太郎・トラの子として福岡県甘木市秋月町に生まれる。八人兄弟の七番目。  実家は武士の家系で、父は侍気質で、「念仏などは弱虫のするものだ」と言っていたという。はじめは医者を志したが受験に失敗して浪人をしていたときに、近所に園子ちゃんという子が脳膜炎という病気で急死したのにショックを受け、京都の大谷大学に進学した。在学中にお念仏申される生活が始まっていた。卒業後は横浜の小学校や横須賀高等女学校に勤め、昭和五年 藤原利枝様と結婚して浄秀寺へ入る。松任高等女学校に勤める。大谷派の教務部長を勤めたり、真人社の結成にも参加する。日本各地へ布教の旅に回りつづけ、平成八年九十一歳の時、石川県宗教連盟から宗教文化賞を贈られた。平成九年一月十九日九十二歳にてお浄土へ還られる。
 
正遠先生のお歌  
                                                             
あや雲の流るる如くわがいのち永遠のいのちの中を流るる       
来し方もまた行く方も今日の日もわれは知らねどみ運びのまま
南無阿弥陀仏口を開きて称うべし称うる人にともる法の灯
いずこにも行くべき道の絶えたれば口割りたもう南無阿弥陀仏
行き詰まりまた行き詰まり行き詰まり弥陀のふところあたたかきかな
生きるものは生かしめたもう死ぬものは死なしめたもうわれに手のなし南無阿弥陀仏
貪愛もまた瞋憎もそのままが弥陀のいのちのみ流れときく
おまかせが出来ざる故にお念仏口割りたもうことがおまかせ
煩悩をわがものとする卑下慢に永くとどまりみ仏を見ず