宗教って何ですか?(五) 藤谷純子
自我意識の中に閉ざされて生きていたとき、宗教的な救いを渇望していた。自分で自分を持ちきれなくなって、斎藤茂吉の歌に「水の辺の花の小花の散りどころ 盲(めしい)となりて抱(いだ)かれてゆけよ」と詠まれているような、そんな救いを想っていたと思う。大いなるものに、この愚かで罪深い自分を任せてしまいたい。自分が自分で自分を満足させる生き方を求めることしか知らないものだから、その試みはやがて疲れてしまい、冷めてしまい、飽いてしまうのだった。
そんな孤独な彷徨(さまよ)いの時に、出会ってくださったのが出雲路先生だった。
「あなたは自分を持て余しているんだね」
「あなたは、私は、私は、と言うけれど、私なんていうものはないんですよ」
「人間は関係存在なんですよ」
先生は初めて他となって私に対峙(たいじ)してくださった。自我意識の殻の外から呼びかけ、語りかけてくださった声であり、蚕繭自縛(さんけんじばく)という曠劫来の闇室の鍵穴からかすかに差し込まれた一条の光だった。その先生に、「宗教って何ですか?」とたずねた時、
そんな孤独な彷徨(さまよ)いの時に、出会ってくださったのが出雲路先生だった。
「あなたは自分を持て余しているんだね」
「あなたは、私は、私は、と言うけれど、私なんていうものはないんですよ」
「人間は関係存在なんですよ」
先生は初めて他となって私に対峙(たいじ)してくださった。自我意識の殻の外から呼びかけ、語りかけてくださった声であり、蚕繭自縛(さんけんじばく)という曠劫来の闇室の鍵穴からかすかに差し込まれた一条の光だった。その先生に、「宗教って何ですか?」とたずねた時、
宗教なんてもとよりないのだ ひょろりと天をさして伸びた 一本の紫苑よ
という山村暮鳥の詩を示してくださった。ひょろひょろしてるけれど、天に向かって伸びている草の根っこは大地に支えられていると、宗教の天地を教えてくださった。 そしてお念仏申すことを勧めてくださったのでした。
子供と一緒に一つ蒲団に寝ていた頃、「お母ちゃんは何でナンマンダブツって言うの?」と聞かれたことがあったが、なんて答えたか忘れてしまった。今だったら「罪深く悩み多く生きてるから、申さずにおれないんだよ」とでも答えようか。「そのわりに相変わらず傲慢不遜に生きてるやン」と言われてしまうだろうけれど。
「南無阿弥陀仏」と清沢先生の書かれたお名号の横に端座して、「私はこの教えに命をいただいて生きている者です。あなたも一緒に学んでみませんか」と勧めてくださった出雲路先生のお姿は忘れられません。この渇ききった命を潤して甦らせるいのちの水がここにあるのか……。そして「いくらでも疑っていいんですよ。信ずると言ったって、この伝統・行信の歩みの中に自己を見いだすことなんですよ」とおっしゃった先生は、いつもスタスタと先を急いでおられました。対照的に、もう一人のよき人である信国先生は、先に待っていてくださっているようでいて、いつも後ろから歩いてくださっているようだった。よき人々は、迷える私のために進むべき方向を示し、退転しないよう守ってくださった。幸い多くの師友に恵まれて共に歩む往生浄土の道は、既に浄土から開かれてきていたのだといわねばならない。
今改めて宗教とは何だろうかと自問してみる。
親鸞聖人の教えによって、私自身とは久遠劫来のいのちの歴史を持つ身であって、この世にては業縁次第でどんな生き様をさらすことになるかわからない身であると教えられた。私はこうありたい、こうあらねばならないと自身に要求をしてきたが、それに応えられない身を自身として生きることはできなかった。だから私に与えられた身は主を持たずにさすらうよりなかった。今、お念仏の促しを受けて、この相対有限の身を安んじて生きていける道のあることを知らされた。失敗したり、倒れたりしたときに、倒れられる大地がある。大地こそよるべであり、摂取不捨の親許と言えるだろう。それは私だけの世界ではない、生きとし生けるものと共にある世界である。自分の殻の中でしか安心できなかった私に私を超えて開かれてきた世界。そして生きとし生きるものと運命を共同してゆく世界であり、久遠劫の昔よりこのいのち・身と共に用意されていた世界なのでしょう。その世界が、「あなたもお念仏を申してみませんか」、「お念仏申すところから新しい生活が始まりますよ」との大悲のお勧めを信受するところから開かれてきたのでした。
「南無阿弥陀仏」と清沢先生の書かれたお名号の横に端座して、「私はこの教えに命をいただいて生きている者です。あなたも一緒に学んでみませんか」と勧めてくださった出雲路先生のお姿は忘れられません。この渇ききった命を潤して甦らせるいのちの水がここにあるのか……。そして「いくらでも疑っていいんですよ。信ずると言ったって、この伝統・行信の歩みの中に自己を見いだすことなんですよ」とおっしゃった先生は、いつもスタスタと先を急いでおられました。対照的に、もう一人のよき人である信国先生は、先に待っていてくださっているようでいて、いつも後ろから歩いてくださっているようだった。よき人々は、迷える私のために進むべき方向を示し、退転しないよう守ってくださった。幸い多くの師友に恵まれて共に歩む往生浄土の道は、既に浄土から開かれてきていたのだといわねばならない。
今改めて宗教とは何だろうかと自問してみる。
親鸞聖人の教えによって、私自身とは久遠劫来のいのちの歴史を持つ身であって、この世にては業縁次第でどんな生き様をさらすことになるかわからない身であると教えられた。私はこうありたい、こうあらねばならないと自身に要求をしてきたが、それに応えられない身を自身として生きることはできなかった。だから私に与えられた身は主を持たずにさすらうよりなかった。今、お念仏の促しを受けて、この相対有限の身を安んじて生きていける道のあることを知らされた。失敗したり、倒れたりしたときに、倒れられる大地がある。大地こそよるべであり、摂取不捨の親許と言えるだろう。それは私だけの世界ではない、生きとし生けるものと共にある世界である。自分の殻の中でしか安心できなかった私に私を超えて開かれてきた世界。そして生きとし生きるものと運命を共同してゆく世界であり、久遠劫の昔よりこのいのち・身と共に用意されていた世界なのでしょう。その世界が、「あなたもお念仏を申してみませんか」、「お念仏申すところから新しい生活が始まりますよ」との大悲のお勧めを信受するところから開かれてきたのでした。
穢(え)を捨て浄を欣(ねが)い、行(ぎょう)に迷(まど)い信に惑(まど)い、心昏(くら)く識(さとり)寡(すくな)なく、悪重く障(さわり)多きもの、特(こと)に如来の発遣(はっけん)を仰ぎ、必ず最勝の直道(じきどう)に帰して、専(もっぱ)らこの行に奉(つか)え、ただこの信を崇(あが)めよ(聖典149頁)
釈迦如来、よろずの善のなかより名号をえらびとりて、五濁悪時・悪世界・悪衆生・邪見無信のものに、あたえたまえるなりとしるべし(聖典554頁)