藤谷純子
                                 
    宗教って何ですか?(六)     藤谷純子
 
 
  とにかく新しい自己・新しい生活を求めていた私は、「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり」という清澤先生の言葉を提示され、「あなたはどんな自己として現に生きているのか?」「あなたの求めている救いとは何なのか?」と問われても、それにはっきりと答えることはできなかった。さらに「いのちは誰のものか?」「すべていのちは、それを愛そう愛そうとする者のものであって、それを傷つけよう傷つけようとする者のものではない」と説かれる教えと説く人の前に立たされて、初めて命を私物化し傷つけている自己の姿が見えてきた。「自分を嫌悪し世界を侮蔑してきた自己、邪見憍慢の悪人である自己に救いはあるのですか?」と身を投げ出した私に、「ただ念仏して弥陀に助けられなさい」と念佛申すことを勧めていただいた。一切の群生海を悲引する阿弥陀仏の大悲心に出遇った歓びを覚えた。
 
 山村暮鳥にこんな詩がある。
       
    自分は光をにぎっている
    自分は光をにぎっている
    いまもいまとてにぎっている
    しかもおりおりは考える
    この掌をあけてみたら
    からっぽではあるまいか
    からっぽであったらどうしよう
    けれど自分はにぎっている
    いよいよしっかり握るのだ
    あんな烈しい暴風(あらし)の中で
    摑(つか)んだひかりだ
    はなすものか
    どんなことがあっても
    おお石になれ、拳(こぶし)
    此の生きのくるしみ
    くるしければくるしいほど
    自分は光をにぎりしめる
 
 孤独な暗室に差し込まれた一条の光、それが「ただ念仏して弥陀に助けられなさい」というよき師の勧めであった。それを受け止めたのは、この身としか言いようのないことであり、お念仏の申される歓びもわがはからいをこえたものであったが、心は不安であった。ようやく出遇うことのできた新生への光が確実なものかどうか、念仏と真に出会えたのであろうか、念仏に安心立命を求める心と、念仏に現世を祈る心とが矛盾して混在していた。念佛申しつつも、依然としてわが心に立って念仏を計らっているかぎり、念仏を申させて相対有限の苦しみを超えさせようとの阿弥陀仏の大悲の本願に相応しないし、願力不思議のおはたらきも感ぜられない。しかしその自力無功を知らされる時が必ず与えられる。暮鳥の次の詩は、そのような時にできたのではないだろうか。
        手
    しっかりと
    にぎっていた手を
    ひらいてみた
               
    ひらいてみたが
    なんにも
    なかった
    しっかりと
    にぎらせたのも
    さびしさである
    それをまた
    ひらかせたのも
    さびしさである
  光を我がものにしようと求め求めて走ってきた暮鳥に訪れたあるがままの寂かな世界。親鸞聖人が「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり」と説いてくださったとおりの身を、私も日々頷きながら生きている。この身をそのまま生かしつつ願力の白道・往生成仏の道へ歩ませてくださる、それが私の出遇った宗教といえるかと思う。もしこの教えに遇えなかったら、私は自分の愚かさや罪業の深さ、淋しさや虚しさを抱きしめることはできなかったろうし、そこで人々と共感することもなかったと思う。
 
 其れ三宝に帰(よ)りまつらずは、何をもってか枉(まが)れ るを直(ただ)さん  (聖徳太子「十七条憲法」)