藤谷純子
    お寺の報恩講

  今は報恩講の季節です。今日初めて山に囲まれたお寺の報恩講にお参りしました。息子達がそのお寺に二年半ほど間借りしていたお礼もしたかったのです。お寺は道からかなり高いところにあって、石段を登らねばなりません。昔は、舗装もしていない真っ暗な道を、提灯を持って家族揃って参ったのでしょうか。お寺の本堂の扉を開ければ、明るい朱蝋の炎が、カンカンに炭のおこった大火鉢が、「よう来たね」と笑顔で迎えるお同行さん達が、毎年おなじみのお客僧さんも、楽しみに待っていた倶會一處の再会を喜んだのだろうな・・・
 「ほんこさん、ほんこさん」と呼び習わして暮らしと一体になっている真宗門徒の伝統を知らないで育った私にしてみると、今それが故里のようなぬくもりを感じさせてくれる。寺という場所は、そこにいろいろな人々を迎え容れ、さまざま出会いを生み、互いを鏡として自分自身を知り、その自身を生きる心を念仏の教えに聞かしていただく。自他の命を平等に生かしてくださる南無阿弥陀仏の大悲心がはたらいている浄土、それが「ほんこさん」となってここに現成しているように思った。でも、「この懐かしさは何だろう?」出雲路先生だったら、「それは陶酔に過ぎない」と一蹴されるかもと思ったりしながら、その場の持っている温かさに浸らせて貰いながら、これがいのちの故里でないかと思った。御院家さんはご法話で、「住職五十年をご本山が慰労してくださったけれども、五十年の垢が身についてとれないということです」と述懐されました。私も坊守業三十年、解ったことにして人に指図することが多いなと思いました。
寒い時期に勤める報恩講。お掃除、お磨き、お華束つき、お華束盛りにお花立て、お斎の用意、甘酒作りなど、忙しいけれども皆で作って皆でいただく、その賑やかな喜びはかけがえがない。だから私達は報恩講を失ったら、お念仏を私達にまで伝えてくださった多くの人々の歩みに思いを致すことがあるだろうか。ご恩を憶うことがあるだろうか。生かされている自他の命を私物化して軽んじ、傷つけ、敬うことを忘れるだろうし、生まれて生きて老いて病んで死んでいくこの身に安んじて生きることはできないだろう。その浄土を証ししていくことが、教えに出遇った者のつとめであろうか。
   
  如来大悲の恩徳は
    身を粉にしても報ずべし
    師主知識の恩徳も
    骨を砕きても謝すべし

  数知れないほど平気で歌ってきたこの歌を初めて聞いて、「恐ろしい歌を歌う宗教だなと思った」と言った友がいました。何というぶ厚い垢をつけた身を、それとも知らず生きて寺に居座っていることだろう。「関東人はガサツモンです。聖人のご苦労の跡を観光寺院にしてしまった」と、「ガサツモン」と安田先生から叱咤された日のことが甦ってきます。南無阿弥陀仏