藤谷純子

児玉暁洋先生、髙嶋千代子様一周会「感話」


                                                                      
  お寺というサンガをいただいて

  藤谷純子と申します。今日は、児玉先生、髙嶋さんの一周会ですね。。児玉先生からは、私は結婚をプレゼントされました。「あんたは結婚についてどう思っているか。」「この人と生きていかないか。」ということを言われて、それは信国先生の一周忌の会の後のことでした。その結婚と同時に、お寺というサンガを贈っていただいたと思います。お寺というサンガは、私にとっては、この生・老・病・死という人間の一生を、お互いを鏡としながら仏法に学び合っていく、そういう場としていただいていると思っています。
  そこで住職・坊守という座をいただいてからちょうど三十年たって、もうそろそろ交代の時期とか、そんな意識も自覚もなしに一生懸命走って来たのですけれども、息子たちが「もう寺は継がない」ということで出て行って、次にバトンタッチする人がいなくなってしまって、なにか前のめりになってるような自分でもあります。寺の生活を、息子から「ここは家庭じゃない、仕事場だ。」と言われて、息子の望むようなところではないということなのでしょうか。そういうことが最近ありました。「まだ少しやることがあるぞ。もう少し頑張れ」と言われてるのでしょうかね。この先どんなふうに展開していくのか。「仏天の御計らい」という言葉がありますけれど、そういうことかなと思っています。

  「虚仮子」さん

  髙嶋さんは、初めて会った時はとっても颯爽とした人でした。背がスラっとして、頭のてっぺんに髪の毛をクルクルと巻いて、まるで「こけし」のような感じの人でした。秦さんから「こけし」と名付けられて、自分を「こけし」と名のって、以後「虚仮子」と書いておられましたね。秦さんから「こけし、こけし」と可愛がられたとおっしゃっていました。
  道林寺内の崇信学舎は暗くてちょっと汚い所で、私には最初そういう印象でしたね。道林寺から出て行かなければならなくなった時、ちょうど私の友達が小立野の一軒家を出ることになったので、「髙嶋さん、そこでよければ空いているよ。」ということで、小立野に引っ越して見えました。それから、材木町の今の場所へ移ったのだと思いますけれども、私は材木町に移る時は知りませんでした。そしていつの頃からか、崇信学舎に着くと「ただいま」と言わせて頂くようになりました。奥から高島さんのあの声が「ごくろうさーん」と返ってきましたね。
  髙嶋さんは『崇信』という機関紙を毎月毎月きちんと出されていましたけれど、あるとき、「これが職場の人のゴミ箱に入っていたんや。がっかりしたけど、ああ、自分はゴミを毎月出していたのやなと分かった。」と、そんなことを言っていらして。「虚仮子」という名前の通り、いろんな世間的な価値づけや意味づけから力を抜いて生きておられたと思います。
  「私は崇信学舎の留守番や。」とおっしゃっていました。私の場合、「私はお寺の留守番や。」と言ってくれているのは姑のほうで、毎年、お正月の修正会の後に一言ずつ一年の抱負みたいなことを言い合う時には、うちのお姑さんは「今年も留守番に徹します。」と言ってくれるんですね。私はなにやかやと外へ出歩いて、お寺の座を温めていません。髙嶋さんはいつでも電話を掛けるとさっと出て、決して留守をしませんでした。いつどんな時も、どんな人が悩みを持ってきても、いつもいて話を聞いてくれる。電話を掛ければすぐに出て対応して下さる。寺の住職を留守職というそうですが、そういう役目を果たされていたのだなあと思います。でも、力みがないですね。元気なときは、両脇に書物や書類がある真ん中に坐ってしゃんとしていられましたが、だんだんだんだん両脇の物が高くなって潰されてしまいそうな弱々しい感じで、それがとうとう熱中症で亡くなられました。学舎と一つに溶けてしまったみたいです。与えられた座において、いつも私たちに対応して下さった人でした。前に『崇信』に一言書きましたが、「私はアメリカシロヒトリのようなもんや。葉っぱを食べて、枝を切られて、火にくべられても何の文句も言えんもんや。」ともおっしゃっておられました。

  捨身飼虎

  「捨身飼虎」という言葉がありますが、児玉先生にしても髙嶋さんにしても、他の先生方にしても、私たちは飢えた、いつもひもじくて不満だらけで、何か外にいいものを探しているそういう飢えた虎の子のようなものであって、そういう者に自分の身を捨てて与えて下さった。仏道とはそういう一生を尽くしていく道なのかなあと思います。
  今日は北極星の話を聞かせていただいて、北極星は私もよく見上げますが、そこに児玉先生や高嶋さんを憶うことができるなんて、うれしいですね。私は、児玉先生から与えられた寺という現場・生死出ずべき道を求める共同体に、このささやかな身を尽くしていけたらなあと思っています。今日はありがとうございます。
(二〇一九年八月二四日、真宗大谷派金沢別院・真宗会館にて)