藤谷純子
     「ただ念仏して」の仰せに応える我とは

                                  藤谷純子
 
 門徒の女性が「捜さないでください」という書き置きを遺して行方不明になってから、もう十日を過ぎようとしている。この町へ後添えとして来られたのだが、心を開いて話のできる友達もできなかったようだ。長く母一人子一人で生きてきて、その母親を看取ってから孤独だったのだろう。先祖のお供養に何かしたいという気持からいろいろ気遣って用意をしてくださる方だった。ここしばらく夫婦とも体調が悪いので月忌参りも休んでいたけれど、二月の在家報恩講には久々に住職がお参りして、何か変わった感じも受けなかったという。 生きているのか死んでしまったのか、何もできないままに日を過ごしている。
 
 この間の組の坊守学習会で、仲野良俊先生のこういう言葉を伝えていただいた。
   どうにもならぬが、どうかしたい
   どうかしたいが、どうにもならぬ
   だがどうかしたい
   それをどうする必要もないのだと
   目を開く、それが信仰である
私達の多くが置かれている状況は、悩ましい問題が起きると、何とかしてそれを解決しようともがく。それを見た第三者があれこれ言うので余計に
何とかしなければと迷ってしまう。自分の思いに振り回され、また他人の言葉に振り回されていよいよ迷ってしまう。自業自得または自作自受と見きわめて「これが私の受けるべき当然のことだったのだ。ここを逃げ隠れしないで、ここでの生活にじっくりと取り組んでみよう」という新しい智慧の視界が開けないと、自身の落ち着くべき場所はない。そこは決して楽なところではない。しかしここより他に自分の身を置く場所はないと心が決まるかどうかにかかっていると思う。
  私達は自分の思いに振り回されて悩みを深めている。その自分の思いの底にあるのが我愛我執の心である。その狭く浅く愚かな主観性にしがみついて自由を失っている。それなのに、誰かが、皆が、自分を堕とそうとしていると感じてしまう。その自縄自縛の殻の外、自身を閉じ込めている殻の外に立たないと、自分のあり方には気づけない。千歳の暗室といわれているその外から差し込まれてきた光の言葉、それが私にとっては「お念仏を申してみませんか」という勧めであり、重ねて「念仏申すところから新しい生活が始まりますよ」というよき人の言葉だった。自力の求め心に疲れ果て、力尽きたときにお念仏の勧めをいただいたのだった。『歎異抄』には「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」とありますが、弥陀の救いが解ってというのでなく、何も分からない者に届けられた新しい光のおとずれだった。 よき人の勧めを受けて「私も念佛申してみよう」と思いたったことが、よき人との出会いになり、聞法の始まりとなって今に続いている。我愛我執を持て余す自分に何も変わりはないが、阿弥陀仏に悲引されている十方群生海に生かされている一人であるとの自分を賜った。
 とにかく、口業に念佛申すという仏智不思議の大悲方便の入口が用意されていることが、罪悪深重煩悩熾盛の凡夫のために施設されてきていたことが、私に念仏を申させてくださっている。以前に子供から「お母ちゃんは何でナンマンダブって言うの?」と聞かれたときに、「それは私が罪深く生きてるからだよ」と答えたけれども、そうではなかった。「ただ念佛申せよ」という催促がいつもいつも懸けられている身だったからである。その悲心に思い至るときには、ここで四苦八苦しつつ人世を共に渡っていこうと思い返せることになる。  南無阿弥陀仏