藤谷純子
     「ただ念仏して」の仰せに応える我とは(三)                  藤谷純子
 

  『歎異抄』に、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて」とあるように、よきひとからの念仏の勧めを身に被って、みずからも「ナンマンダブツ」と念仏申されたその初事に、新しい我を感じ取った。その我は、あれこれと善し悪しをあげつらっては自己主張する日ごろの我を超えている如来の教えを聴聞し、それに依って生きんとする我であった。 「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」とは、相対有限の身を相対有限の世界に生きる苦悩をみそなわして、この身を生かしめんとする如来のいのちからの「帰り来たれ!」という呼び声となってくださったよきひとの教え、よきひとの念仏であった。その呼び声がこの身に聞きとめられた時の応答として、「ナンマンダブツ」と申す我が誕生し、私に与えられたのだった。それは始め、この身を支配していた私の価値観からの解放の歓びであったが、やがて十方衆生と共に阿弥陀仏の浄土への往生を願って生きる者へと育まれ導かれていくことになった。
 
 南無阿弥陀仏とは、「我は阿弥陀仏に南無する者なり」という自己表明の言葉であり、「阿弥陀仏に南無する者をこそ我とする」という自己決定の言葉でもある。いろいろな迷いと苦悩のもとにある「自己とは何ぞや」という問いに光がともったと言えるだろうか。相対有限のこの身を荷負(にな)って「我」と名告ってくださる主体が成り立つことであった。

  信国先生は、南無阿弥陀仏を、一つには「汝、ただ念仏して弥陀にたすけられよ!」とのよきひと・諸仏如来の教命として、そして二つには「汝、ただ念仏して我に助けられよ!」との阿弥陀仏の勅命として開いてくださり、さらに「我、ただ念仏して弥陀に助けられまいらせん」という仏弟子・我の応答・信順の言葉として説いてくださった。
 
 この「汝」と「我」との呼応の出会いについて教えられる出来事があった。友達の家に立ち寄っていた時、ちょうど孫のMちゃんがニコニコして「おかえり、おかえり」と言いながら帰ってきた。「面白かろう、Mちゃんは「お帰り」って言って帰ってくるんよ」と友は言って、「お帰り」と声をかけた。Mちゃんは、家族からの温かい「お帰り」で迎えられるから「お帰り」って言ってるんだとほほえましく感じていたら、「でも、お母さんは、Mと対話がしたいっていつも言ってるんよ」と、また友は言った。 
 「お帰り」と言えば「ただいま」、「ただいま」と言えば「お帰り」と言う、これが対話なのだ。親と子の「我と汝」としての出会いは、親は子にその子自身の我と対話したいと願っているのだった。別のご門徒の家の玄関には、お母さんの字で「ただいま おかえり」と書いた額が置かれている。こういう呼応の世界・対話の世界を願っている私達のいのちなのだと知らされた。
 
 「南無阿弥陀仏」と呼ばれたら、「ナムアミダブツ」と言えばいいのではない。しかし私達の場合はMちゃんのように、念佛申しているよきひとの勧めを信じ、念佛申すその姿を真似て「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と阿弥陀仏の名号を称えつつ称えつつから始まるよりない。阿弥陀仏がよきひとの仰せを通してなぜ「我が名を称えよ」と私達に命じてくださっているのか?、そして阿弥陀仏はなぜ南無阿弥陀仏と名告られたのか?、親が子を「汝」と呼びかける声の響きが身に届いて、その「汝」と呼応する「我」になっていく歩みが願われているのだと思われる。 南無阿弥陀仏