藤谷純子
  二匹の犬の死
             藤谷 純子
 
 家には二匹の犬がいて、どちらも野良犬だった。一匹は別院の境内に寝泊まりしていて、人慣れしていた。飼われていて棄てられたのだろうか。ある時残りご飯を上げようと呼ぶと、うれしくてうれしくて、ご飯を見てから境内をグルグルと三回りもしてから食べたのだった。その時私の中に飼ってやりたいなという心が起こった。
 どの位経ってからか、数日帰らないことがあった。帰ってきた時、大きな真っ黒の犬を連れてきた。それからまもなく、お風呂の床の下で「クーン、クーン」という声が聞こえてきて、二匹の子犬が生まれていることが解った。やがてコロコロした子犬が出てきて、私達は母犬を「母(かあ)べえ」と呼ぶことにした。
 子犬はご門徒さんが貰ってくれたが、母べえを捕まえて避妊手術をしなければということになり、捕まえにかかった途端に姿を見せなくなった。母べえは決して乱暴な犬ではなく、よほど人間から怖い目に遭わされたのでしょう、ただ人間が怖かったのでした。ようやく捕まえて、そのまま動物病院に連れて行きました。
 それからはマルの隣に繋いで、朝夕散歩にも行き餌も食べるのですが、尻尾(しっぽ)は長いこと垂れたままでした。何年もかかって、呼べばこちらを向くようになり、頭をなでさせるようになりましたが、十一年経っても体を触らせてくれないので、伸び放題汚れ放題で、連れて歩くのが恥ずかしいくらいでした。
 この二匹の犬はけんかをしませんでした。母べえは自分が取りそこなったお菓子をマルに取られても決して怒らなかった。やがてマルが病気になり、老いも加わって一緒に散歩に行けなくなった時は、マルが帰ってくるまで「ワンワンワーン、ワンワンワーン」と鳴き続けるのでした。マルが家へ来てから一三、四年は経つでしょう、眼も見えなくなり、耳も聞こえなくなり、全く食べなくなって五日目に水を少し飲み、大きな息をし足を伸ばして亡くなったのは五月二十八日のことでした。
 それ以来母べえは散歩とご飯以外は縁の下に潜って出てこなくなった。そしてだんだん食べ残しが多くなり、とうとう三日も食べないので、病院に連れて行くことになった。何しろ病院には似合わないボロをまとった格好なので、抱える布を差し出したら「要りません、犬は汚いのが好きなんですよ」と言って下さった。点滴をする間も、じっとおとなしくしてるので、皆から「かわいいねー」と褒められた。これだけでも連れてきて「母べえ、良かったね」と思った。
 しかし検査の結果は最悪で「腎臓の数値が悪い。だんだん弱っていくでしょう」と診断された。それから十日間、母べえは何も食べずにじっと寝ていた。その頃からか、ひとすじの眼差しでジーッと私を見るようになった。朝夕の散歩は日を追うごとにきつくなったが、最後の朝も少し歩いてシッコとうんちをして、後は声一つたてず、じっと身を横たえていた。亡くなる少し前までとても静かな息だったのに、急に血を少し吐いて息が切れ、七月三十日マルの後を追うように死んでしまった。
 この二匹の犬たちから、生まれたままの姿で何一つ持たず、一匹一匹与わった生を全うした身心一如のいのちの本能を見せて貰いました。そして久しぶりに一つの詩を思い出しました。

   犬は跣足(はだし)なり     丸山 薫

 ある日 みんなと縁端にいて
 ふいにはらはらと涙がこぼれ落ちた
 母は埃(ほこり)でも入ったのかと訊(き)
 妻は怪訝(けげん)な面持(おもも)ちして私を見つめた
 私は笑って紛(まぎ)らわそうとしたが
 溢(あふ)れるものを隠す術(すべ)もなかった  

 せんちめんたるな と責めるなかれ
 実はつまらぬことが悲しかったのだ
 愛する犬 綿のような毛並みをふさふささせ 
 私たちよりも怜悧(れいり)で正直な魂が
 いつも跣足(はだし)で地面から見上げているのが 
 可哀想でならなかったのだ