藤谷純子

巻頭言 「未来のあなたへ」
                                            藤谷純子

「今」は、遠い過去から由来し、未来を孕んでいます。
「ここ」は、宇宙空間そして地球全体から支えられている日本の片隅です。
あなたは遥かないのちの起源から、連なり流れてきた形なきいのちの不可思議な因縁和合のはたらきのままに、「今」「ここ」に形ある身となって、いよいよ私達の待つ「この世」へと生まれ出ようとしています。

今頃あなたは、あたたかなお母さんの子宮に抱かれて、何の不安も不足もなく微睡(まどろ)んでいるのだろうか。それとも、いよいよ一人出てゆかねばならない世界の気配を感じて、おののいたりもするのだろうか。

あなたを待っている私達の「この世」は、地球環境の様々な変動もあるし、差別や貧困、紛争や闘争の絶えない相対有限の世界であり、生老病死を免れない諸行無常の世界です。そして、あなたの受けた人身は「業縁存在」と言われる身。あなたはどんな業縁の身を受けてくるのだろうか。罪深く悩み多く生きねばならないこの業縁の身と同時に、人々と共に生きていく環境とを与えられて生まれてくるのです。出遇う縁によってはどんな生き様をさらさなければならないか、選ぶことはできません。 
お釈迦さまは、この世界を「五濁悪時・悪世界」と言い、私達を「悪衆生・悪見・悪煩悩・悪邪無信の者」(聖典217頁)と悲憐され、親鸞様は「苦悩の群生海」と悲歎されました。もしもあなたがそれを知ったなら、絶望してしまうのではないでしょうか。でも、でも、あなたの身を生かしている「いのち」の世界信頼・人間信頼はもっともっと深く、一如の智慧と大慈悲からの手立てを用意して、あなたを「この世」へと送り出してくださっているのです。

昔こんなご法話を聞きました。「おまえがこの世に生まれる前、仏様から訊かれたそうな。おまえのこれから生まれる世界は苦しいこと悲しいことばっかりの所だぞ。そんでもいいのか?と。そん時おまえは、ボロ纏って、泥水すすってでも仏様の教えが聞けるんなら、そんでいいって言ったから生まれてきたんじゃよ」 このお話を聞いて自問してみたけれど、返事ができなかった。でもお念仏のひとに出遇った時、「あぁ、お念仏に遇いたくてこの身は生まれてきたんだな―」と頷けたのでした。
 
しばらくの時の間かもしれないけれど、私達はあなたとの出会いによって、傷つけ穢し忘れ果てている「いのち」との再会を待っているのです。南無阿弥陀仏の呼び声を聞かせていただきたいと願っているのです。

無碍光仏のみことには
未来の有情利せんとて
大勢至菩薩に
智慧の念仏さずけしむ (正像末和讃)