(出雲路暢良先生三十三回忌法話)
先生に迎えられて(4)
藤谷純子
寺とはどういうところか
先生がお寺について、こういう言葉を遺しておられますね。「お寺というところはどういうところか。お寺の坊さんの仕事というのは、死んだ者の葬式をするとか、そういうことばかりで、大の男のする仕事かと、そんな大それたことを思ったこともあったんだけれど、今はそうは思わない。むしろ、最も大切な仕事をさせてもらっている。死を縁として、真に確かないのちを聞き開いていく、そういう場所が寺だぞ。その寺をお預かりして、そしてそこで共に聞法させてもらっていく。そのお世話をさせてもらう。こんなに光栄ある仕事がどこにあるでしょう」と。
しかし現代において、お寺は無用の長物というか、これだけの建物を維持するだけでも、ご門徒さん方はくたびれ果ててしまっている。寺という建物、生死をこえる道を明らかにする道場である建物が人間にとっては大事なんだ、と言えるご門徒が本当に少なくなってきて、負の遺産とか、無用の長物とか、そういう言葉が聞かれますね。
在家の方々のお家のお内仏やお墓も、「負の遺産」という言葉で言われたりしています。子供に託しにくい、託すことが容易ではないものとして。そして、山や田畑も、そうですね。自分は親が苦労して耕している姿を見ているから田畑を継いでいくけど、息子には「お米を作れ」とは言えません、赤字が出てるんだから、と言います。
悲しいことに、お内仏についても、「このお内仏を受け継いで、次に手渡してくれないか」と、子供に向かって言えておりません。こういうものの大切さをほんとうに身に染み込ませて、そういう身になっていないと、自然な言葉では言えないのですね。子供に押し付けるような言葉とか、子供に変に頼むような言葉でしか、子どもに伝えられていないのです。「仏さまを守ってくれよ」。「仏さまを大切にしてくれよ」という表現自体がおかしいですけれども、これが私の現実でもあります。
たしかないのちの道を聞き開く
もう三十九年も前のものですが、先生の「報恩講のご案内」という文章が出てきました。お父さんである「専光寺住職出雲路瑩良」の名で記されています。最後に読ませていただきたいと思います。
「報恩講にあたって」
私たちは、それぞれに一生懸命に生きています。それは、自分が、そして愛する者たちが、ほんとうに幸せな毎日を生きたいからに他なりません。しかし、ほんとうに手ごたえのある喜ばしい人生を生きることができているのでしょうか。
愛し合う者同志が寄り添うようにして、幸せになろう、幸せになろうと努力すればするほど、時には奇妙にも傷つけあわねばならなくなることもしばしばです。また、時には思い通りの生活ができるようになることもあります。しかし、そうした生活の一番中心に、何か満たされない空しさがあるのではないでしょうか。――がんばって、がんばって、家も建ったし、子どもたちもすくすくと育ってくれた。ガムシャラに生きて来て、ホッと一息ついてふりかえってみると、子どもたちはそれぞれに独立していって、六十才近くになった夫婦二人、こうして残っている。いったい自分の人生は何だったのだろうかと、いのちの最も深い深みから、こみ上げてくるような疑問が湧いてくるのも私たちの現実ではないでしょうか。
なぜ私たちはあふれるようないのちを生きることができなくて、たかだかあれこれの楽しみでごまかすしか道のないけだるい毎日を過ごさねばならないのでしょうか。
親鸞聖人のご生涯は、決しておだやかな一生ではありませんでした。幼少にして親にわかれ、三十五才の時には国家の無法な念佛者弾圧によって遠く越後に流され、晩年には長男善鸞を勘当しなければならないような人生を生きておられます。しかし、そのような人生でありながら、どうしてあのようにしずかで、しかも力強い人生を生きることができたのでしょうか。
現代の我々は、何か自分そのものを失ってしまっているのではないでしょうか。私はこうした現代に生きる者として、あらためて親鸞聖人に学びたいと思います。
報恩講は、そうしたやるせないいのちを生きる他なかった私どもの先祖の方々が、聖人のみ教えにふれて深くおどろき、いのちがけで聞き開いたたしかないのちの道を、力一ぱい讃嘆しおうた日です。そして、私たちにもそうしたいのちに生きてくれと心の底から願って下さっている日です。私たちの、たしかな自分に立ち返らせていただく大事な大事な日です。
みなさまのお参りを、心からお待ち申しております。そして、共に、たしかないのちの道を聞き開き、共に歩ませて頂きたいと念じております。
専光寺住職 出雲路瑩良
世間では三十三回忌を済まさないとご先祖にはなれないという、そんな諺というのか、そういう考え方があるそうですね。今は三十三回忌もきちんと勤めるということが、コロナのせいもありますが、実はこちらの方の気持ちが冷めてしまっているのですね。年回忌をやることの意味が失われいるのでしょうか。人と人との出会いが希薄になっているのでしょうか。
やはり「ご先祖」というのは、事実、私たちの大地ですね。地下水とも言えますかね。そういうものに先生もなられているのだということを思って、今日はこうして御法事に参らせていただくことをほんとうにありがたいことだなと思いながら参りました。これでお話を終わります。
どうも有り難うございました。
(二〇二二年三月二七日、専光寺にて)