出雲路暢良先生三十三回忌法話
先生に迎えられて(1)
藤谷純子
雪国に憧れて
初めてお会いする方も多いと思います。私は大分県の方から参りました。昨日は暴風のために電車が走れなくなり、米原で五時間ほど待って、それでも今日の日を迎えることができました。来てみるとですね、「先生、来ましたよ」という感じで、先生に迎えられたような気がいたします。
私は茨城県の笠間というところで生まれました。大学受験の時に、なぜ金沢を目指したかと言いますと、私は雪国に憧れて、北海道大学に行きたいと思いましたが、父から反対され、だったら金沢にということで、金沢へ来ました。
自分の今まで生きてきたところを顧みて、なにか自分の人生を汚してしまったな、という思いが強くなって、雪国の真っ白な清らかな雪景色というか、そういうものに憧れて、人生をやり直したいと、そんな思いを抱いて金沢へ来たんです。でもそういう新しい生活が始まるかというと、それは容易なことではなくて、やはり今までと同じような生活、だらだらとした満ち足りない思いをしながらの学生生活を送っておりました。
そのうち大学紛争が始まって、バリケード封鎖などもあり、みんな散り散りになって、孤独感と、何も自分が本当に打ち込むものがないという虚しさや気だるさ、さびしさの中でフラフラと生きておりました。
出雲路先生との出会い
そういう時に、たまたま一枚のポスターが大学の構内に貼ってあって、それには「暁烏文庫古典セミナー『正法眼蔵随聞記』を読む」と書かれてありました。それで、フラフラっと行ってみたんですね。そしたらそこに待っていてくださったのが出雲路先生でした。ほんとに待っていてくださったという感じで、すっと受け入れてくださったですね。それで、先生とお話しすることをとおして、「ああ、こういうことなんか」と、自分の心の中が見えてくるという感じをもちました。それと、今までは詩とか短歌とか小説とか、文学書しか開いたことのない私が初めて、哲学的なものとか、宗教的なものとかに触れさせていただいたのは、先生との出会いから始まりました。
ある時、「先生、宗教って何でしょうか。一つの世界観みたいなものでしょうか」と尋ねた時、それに対して先生は、山村暮鳥の、
宗教などというものはもとよりないのだ
ひょろりと天をさした一本の紫苑よ
という詩や、木下利玄の
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
という短歌をとおして、宗教的な世界への門に私を導いて下さったと思います。
それから、先生の空き時間に、いろんな本を読んで下さいましたが、それで今日は、これを読もうか、読むまいかと迷っていたのですが、先生の三十三回忌がなかったら思い出さなかったと思う詩を思い出しました。私は先生への手紙の中に、この長々とした詩を書いて送っているんですね。思いきって読ませていただきます。
私も先生の所へ来ると、学生時代の自分に、――フラフラと迷いながら、一人ぼっちで、暗い垂れ込めた北陸の空の下で、細々とポツンと生きていた、そういう自分に帰るんですね。そういう私が先生に向けて手紙に書いた詩です。皆さんも若かった時があるでしょうし、共感していただけるかどうか、読ませていただきます。「人類の泉」という高村光太郎の詩なんですね。
人類の泉
世界がわかわかしい緑になって
青い雨がまた降って来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらはれとなって
いつも私を堪(たま)らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱(のが)れて
づんづんと私を作ってゆくのです
いま死んで いま生れるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萌え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもって
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり残酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知って居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其(それ)を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持ってゐます
あなたは海水の流動する力をもつてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによって私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此(これ)は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息(きそく)に接します
ヒュウマニティの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生れたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある
念仏申してみませんか
先生にこういう手紙を書き送った昔があって、先生、これ読まれて何もおっしゃらなかったけど、困ったなと思ったかもしれませんね。そういう先生に導かれながら、お念仏の教えを少しずつ聞かせていただいて、それでも、どうしても私の中には虚しさ、満ち足りなさがあって、ある時「先生、もう私は、この宗教の勉強はやめます。」「読んでも言葉ばっかりで、私の身に本当に入ってこないというか、身を満たしてくれるっていうことがないので、もうやめます。仏教の勉強はもうやめます」と言いました。そしたら、「あなたにはもう本を読んだり、考えたりすることは間に合わなくなってるんだね」。そう仰って、「念仏を申してみませんか」と、勧めて下さいました。
私は誰かが申す念仏を聞いたことがなく育ってきているんですね。だからお念仏を申すなんてことは、――どのくらいかの期間ですね、先生と一緒に本を読ませていただいたりしたけれど、念仏申すなんていうことは思ったことなかったんですよね。「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と念仏申す声を聞いたことはなかったので、驚いてしまいました。それも先生は遠慮深く「お念仏申してみませんか」と、そういう言葉かけで言ってくださった。そしたら私が何も言わないので、先生は合掌をされて、「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と、初めて先生のお念仏申す声を聞かせていただいたんですね。そして、「これがあなたにはそらぞらしく見えますか?」と聞かれました。私にはそらぞらしく見えないわけではなかったんですね。私とは無縁なものというか、そういう感じをもっていましたので。意外だったし、「そらぞらしくはありませんけれども、私が「ナンマンダブツ」と口から申すなんていうことは、不自然なことです」と言ったんです。そしたら先生がはっきりと、「お念仏が申されるようになるまで、もう私のところへ来ないでください」と言われました。
新しい人生の蘇(よみがえ)りというか、新しい生活を願いながら、金沢まで来てですね、いろんな試みもありましたけど、「ああ、この試みもこれで終わりなんだな」と思いながら、先生の研究室から、大学の坂道をとぼとぼ下りて下宿に帰ってきました。ああ、これで私の新しい生活への試み、宗教というものに対する試みも終わったんだなって思いました。それで、大学は休学していましたので、今までのようにアルバイトをしながら生きていたんです。(続く)