藤谷純子
      
    群生海へ(三)
  
  かつて新聞で見た忘れられない詩がある。
     
   ちいさい かわ のうた    武鹿 悦子
   
    ちいさい  かわは  はしる
    うみに あいたくて
 
      ちいさい  かわは  しゃべる
      うみのこと  ばかり
 
      ちいさい  かわは  はねる
      うみは  どんな  いろ
 
      ちいさい  かわは  なくよ
      うみは  とおすぎる
 
    ちいさい  かわは  おもう
    うみは  なんだろう
 
      ちいさい  かわは  おもう
      ぼくの  おかあさん
 
      ちいさい  かわは  さけぶ
      うみは  おかあさん!
 
      ちいさい  かわは  はしる
      うみへ  まっすぐに

 記憶が曖昧になっているのだが、「川は何で流れると思うか?」と問われて、「海があるからだよ」と自ら答えて下さったのは林暁宇先生ではなかったかと思う。今年九州では、倒木や土砂が川の流れをふさいで大洪水があちこちで起こっているし、二〇一一年の原発事故以来、大地も川も海も浄化不能の放射能汚染に苦しんでいる。小賢しい人間知をものともしない自然の自浄力は、もう期待できないのだろうか。そのように私達の心も、魂・いのちの故郷への思慕に生きることはとても難しくなっているように思われる。
 親鸞聖人は越後の海を眺めながら、辺りなき生死の苦海であり、無明海であり難度海である群生海を、その厳しい環境に生きる人々と共に、いよいよ身近かにわが事として自覚なさったに違いない。そして『大無量寿経』の会座に参集された菩薩方、「群生を荷負(かふ)してこれを重担(じゅうたん)とす」と言い「もろもろの衆生において、視(みそな)わすこと自己のごとし」と言われている菩薩方を憶念されたに違いない。そこにまさしく群生海をこそ救わんとされた本願を海として観ぜられたのではないだろうか。
            
  「海」と言うは、久遠(くおん)よりこのかた、凡聖所修(ぼんしょうしょしゅ)の雑修雑善(ざっしゅぞうぜん)の川水(せんすい)を転じ、逆謗闡提恒沙無明(ぎゃくほうせんだいごうじゃむみょう)の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成(な)る、これを海のごときに喩(たと)うるなり。良(まこと)に知りぬ、経に説きて「煩悩(ぼんのう)の氷解(と)けて功徳の水と成る」と言(のたま)えるがごとし。
  願海は二乗雑善(にじょうぞうぜん)の中下の屍骸(しがい)を宿さず。いかにいわんや、人天の虚仮邪偽(こけじゃぎ)の善業(ぜんごう)、雑毒雑心(ぞうどくざっしん)の屍骸(しがい)を宿さんや。    (『教行信証』行巻)
 
  親鸞聖人のお言葉によれば、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」との法然上人の仰せを被って、摂取不捨の本願海に招き入れられた。その自力無功の「ただ念仏」に至るまでの自力の悪戦苦闘、善根功徳を願っては挫折の繰り返しという私達のあり方までが本願(十九願)として誓って下さってあることに驚く。ご和讃に

    諸善万行ことごとく
    至心発願せるゆえに
    往生浄土の方便の
    善とならぬはなかりけり

と詠まれている。この自力を頼んで励む歩みを通して、私達は自身の正体、自力の正体をよくよく知らされることになるのでした。

    あらわに、かしこきすがた、善人のかたちを、  あらわすことなかれ、精進なるすがたをしめ   すことなかれとなり。そのゆえは、内懐虚仮(ないえこけ)なればなり。

この自身の現実を知らされる時、なぜか大地に足が着いたような、自身に戻れたような安堵感もあった。「念佛申しなさい」という呼びかけが、既に届けられていたからでしょう。化身土巻に、釈尊は善行を勧めて群生海を誘引し、阿弥陀如来は十九願という悲願を発して諸有海(しょうかい)を教化したもうとあるように、すでに本願海の中に摂取されて願力自然のお育てに預かる身であったのでした。