藤谷純子
      
    群生海へ(四)
  
 行年九十七歳というご門徒のお婆ちゃんのお通夜があった。三、四年前より介護施設に入っていたし、息子さんの方が先に亡くなっていたこともあって、住職が枕経に行った時には「家族葬にしたい」と言ったそうである。しかし「お婆ちゃんは、その土地の人々と喜怒哀楽を交えつつ生きた人なのだから、皆にお別れをして、また皆からお線香を上げてもらって見送ってもらうのがいいんじゃないか」と言ったところ、お嫁さんはすぐに承諾されたという。
  そのお婆ちゃんは、同居している息子さんとよ
くけんかをしては「御院家さん、聞いちょくれ」と言って、息子の悪口を思いっきりまくし立てるのだった。私達は、他人の煩悩話だし、かわいさ余っての母親の情念だからと余裕をもって笑って聞いていたものだった。ある時など黙って家を出たまま帰らなかったために、地元の消防団を出し、炊き出しまでして捜索にあたったこともあった。結果息子から𠮟られたときも悔しがって、「あんな息子に私の葬式は出させん」と強がっていたが、大勢の人々からの弔いを受けるお葬式を、お嫁さんに出してもらえたのであった。飾りっ気なしに生き尽くしたお婆ちゃんのような人がこの頃少なくなったせいか、あざやかで懐かしく思われる。お婆ちゃんには寂静院という院号がつけられた。誰もがそうであるように、今生の我欲に執らわれた煩悩生活にようやく別れを告げて寂静無為の世界に帰られたのである。ご縁のあった人々は、どんな思いでお参りをされたことであろうか。
 いま本堂に、こんな詩が貼ってある。
 
    生きとし いけるもの                
    ときに  いさかいながらも
    無辺の いのちの海に
    生かされており
    この私も            (榎本栄一)
 
  昨年居多が浜を訪れてより、この世が群生海と映るようになった。親鸞聖人はその群生海について、『教行信証』三心一心問答の、たとえば至心釋のところには「一切の群生海、無始よりこのかた乃至(ないし)今日今時に至るまで穢悪汚染(えあくわぜん)にして清浄(しょうじょう)の心なし。虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心なし」とある。さらに信楽(しんぎょう)釋には「無始より己来(このかた)、一切群生海、無明海(むみょうかい)に流転し、諸有輪(しょうりん)に沈迷(ちんめい)し、衆苦輪(しゅくりん)に繋縛(けばく)せられて、清浄の信楽なし。法爾(ほうに)として真実の信楽なし」、よって「貪愛の心常によく善心を汚し、瞋憎(しんぞう)の心よく法財を焼く」とある。この言葉に何度我が心の闇を知らされたことだろう。そして群生海・私達に如来の至心を、信楽を、そして欲生心を「回施(えせ)したまえり」と記して下さってある。私の浅はかな味わいで恥ずかしいが、『唯信鈔文意』に「一切群生海の心」とあるのは、この如来よりあたえたもう真実心であり、群生海の底で永(よう)劫(ごう)の修行に身をささげられている法蔵菩薩の願心のことでないのか。
                              
  生活実感には遠いのだけれど、私達の対立しながら営んで生きているこの群生海を離れては、本願海も慈悲海も智慧海も光明の広海もないのだと、心に明るさと温かさとをとり戻させてもらっている。