藤谷純子
      
    群生海にて(五)
  
   三月末の金沢はまだ桜の開花はなく、久しぶりに散策した金沢城や兼六園は、ただただ「夢の跡」でした。九州へ帰ってみれば、寒さが厳しかっただけに満開の桜、桜でした。「みんな雪を嫌うけど、雪がなければ花は咲かんぞ」とおっしゃった鉄乗先生の言葉を思い出しました。金沢は今頃、春爛漫の花の時を謳歌していることでしょう。
  今回の崇信学舎同人会の学習会では、わが寺の現状をありのままに聞いていただきました。
私達は四〇歳の時に、まだ六〇歳の父母から住職・坊守の座を継承しました。その報告をした時、浅田さんは「ご苦労の場を賜ったね。寺の住職・坊守ちゃぁ、門徒にとっちゃ父ちゃん母ちゃんのようなもんや。いつでも寺の門開けとかんとな。門徒の愚痴話聞くゴミ箱になりまっし。そん時は、ゴミ箱の底開けとかんとな」とおっしゃいました。寺と門徒とがこんな信頼関係で結ばれるのかと驚きましたが、私達の場合は、逆に親心で接していただきました。そしてゴミ箱の役目を忘れて、ついつい我田引水な話になりがちでした。
 懇親会の時に、児玉先生は「門徒という言葉は、寺檀制度の中で言われる言葉です。正しくは聞法者あるいは同行です」と言われました。たしかに言葉は、私達の偏見や差別心によって汚されてしまいます。門徒と寺族という呼び名にも封建的な匂いがついています。しかし門徒という呼び名には念仏門に学ぶ弟子・ともがらという意味もあるでしょう。仏の大悲心を仰いで学ぼうとする者の姿勢を表している名でもあると思います。
  大谷派教団が推進した同朋会運動の時には「家の宗教から、個の自覚の宗教へ」というスローガンがありました。先日ご法事のお斎の席で、家名の継承が難しい状況にある方が「こうして法事をすることで、家が受け継がれていくという喜びと安心があります」と話されました。一方、「嫁いできた者に、自分の先祖の供養を全部任せている夫の気が知れない」とか、「仏壇がなければ月参りもなくなり、ご先祖のことを思い出すことは難しいでしょうね。でも私は、どこかに散骨してもらえればいいです」と言った方もおられました。祖父母・父母・子・孫・親類などが身を寄せ合う家を支え、それに支えられてきた寺が無用の長物になり、子孫に門徒としての生活を継がせることが負の遺産と思われているとも聞きます。このような家の弱体化と親子世代の断絶が、いろいろな局面に現れはじめ、いのちの根を下ろす大地が崩れだしています。
  江戸時代の体制上の必要から成立した寺檀制度・門徒制度を長い長い間護ってきた寺と門徒の生活があります。お内仏のお給仕をして、難しい教えの言葉は解らなくとも、朝夕のお参りやお寺の法要に参って聴聞したり、お斎作りやお掃除などのお手伝いをするという寺の門徒としての生活です。そして家を中心とする共同生活のなかで、家族や親族の生・老・病・死に触れながら、自然に人の一生を学んだのでした。命の誕生を祝い、育み、支え合い、護り合い、そして介護し、看取り、葬送するという生活の中で、真宗念仏の教えの流れに預かっていったのでしょう。家の宗教が果たしてきた役割は社会的にも宗教的にも大きかったと思います。それが今は、家を中心にする生き方から個人を中心にする生き方になって、主体的な自己の選択、決定を重んじることになってきました。
  お寺に集う人々は、性も年齢も仕事も性格も関心も、一人一人違います。教えを聞こうとする人もいれば、聞きたくない人もいます。それでもいいのです。お寺は苦悩の群生海であり、本願念仏の生きてはたらく僧伽とならしめられていく伝統・宿善によって持(たも)たれている場であると思います。それはお寺ばかりでありません。家庭でも職場でも、一人一人の違いが生きてはたらく世界が僧伽でしょう。互いが鏡となって、罪障多き自身を知らされ、阿弥陀仏の摂取不捨の呼び声に目覚めさせられていく大事な道場です。それが十方の群生海を誘引し悲引する、荷負群生海の魂にふれる方便化身の浄土といわれているのではないでしょうか。
   
  名号不思議の海水は
    逆謗(ぎゃくほう)の屍骸(しがい)もとどまらず
    衆悪(しゅあく)の万川(ばんせん)帰しぬれば
    功徳のうしおに一味(いちみ)なり